元気、ニッポン!

どの色のメダルも努力の証

2017年06月30日

谷田(現姓・井戸川)絹子さん 77

1964年東京五輪バレーボール女子金メダリスト

1964年の東京五輪バレーボール金メダリストの谷田絹子さん(12日、大阪市北区で)=永尾泰史撮影
1964年の東京五輪バレーボール金メダリストの谷田絹子さん(12日、大阪市北区で)=永尾泰史撮影

53年前の東京五輪で女子のバレーボール競技に出場しましたが、日本で再び五輪が開かれるとは、思ってもみませんでした。元気で2度目の五輪を迎えたいですね。

1961年の初の欧州遠征で22戦全勝し、外国メディアから「東洋の台風」「東洋の魔法使い」と呼ばれました。でも62年の世界選手権で優勝し、大松先生(博文監督)と一緒に引退するつもりでした。目標の世界一を達成し、燃え尽きていたのです。翻意したのは、周囲の期待の大きさと、日本で五輪が開催されることはすごいことなんだ、と思い直したからです。金メダルを取れたのは「スパルタ」で知られる大松先生の猛練習で培った自信があったからでしょう。「やるからには一番を取る。二番はビリと一緒」というのが大松先生の持論。練習は深夜まで長時間に及び、体調が悪くても休ませてくれませんでした。

東京五輪の前から「東洋の魔女」が定着しましたが、昔は嫌で嫌でたまりませんでした。鼻の長い、いじわるなおばあさんのイメージで、「なんで魔女やねん」と。今なら呼ばれたら「ハイハイ」と返事をしますが。なぜあんなにカリカリしてたのかな。後輩たちには「負けることが出来ない」というプレッシャーを掛けたくない。私たちを意識せず、思い切って悔いのない試合をしてほしい。私たちは金メダルを取るのが当たり前と期待され、優勝しか考えていなかった。今、応援する側に立つと、三つのメダルのどれでもいいと思う。そこまでの努力を知っていますから。

前回の五輪は、日本が戦後の復興から高度経済成長に向かう中で開かれましたが、今回は東日本大震災などからの復興でしょうか。日本人の忍耐強さや団結心を世界に発信するよい機会になります。五輪が開催されることで、日本全体が元気になってほしい。

出身地の大阪府池田市で、週に3回、ママさんバレーの指導をしています。「運動して元気になる」「うまくなって優勝したい」と参加理由はそれぞれ違いますが、スポーツを好きになってもらうことが大切だから、腐るような教え方はしません。スポーツで心身ともに健康になってほしいですね。(聞き手・北野正樹)

為末さん(右)から指導を受ける参加者ら(2日、長崎市で)

◇谷田絹子(たにだ・きぬこ) 1939年9月19日生まれ。大阪府出身。大松博文監督(故人)の指導で猛練習を続け、守りから攻撃に素早く移る「回転レシーブ」を武器に62年の世界選手権で優勝。「東洋の魔女」と呼ばれ64年東京五輪金メダル獲得にエースとして貢献。

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