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「五輪で戦えたのは誇り」…カーリング女子小笠原さん

2017年07月03日

#カーリング

#読売2020サロン

2020年東京五輪・パラリンピックを盛り上げるためのセミナー「読売2020サロン」が6月30日、東京都千代田区のよみうり大手町ホールで開かれ、カーリング女子で3度の五輪に出場した北海道銀行の小笠原歩さん(38)が「五輪の力」をテーマにトークショーを行った。

五輪で競技の面白さを知ってもらえた

トークショーを行うカーリングの小笠原歩選手(6月30日、東京都千代田区のよみうり大手町ホールで)

北海道常呂町(現・北見市)で生まれ、カーリングが初めて五輪の正式競技になった1998年長野大会をきっかけに五輪を目指すようになった小笠原さん。2002年ソルトレークシティー大会を手始めに、06年トリノ大会、14年ソチ大会に出場した。

トリノ大会では強豪のカナダや英国を次々に倒して日本中に旋風を巻き起こし、「カーリング娘」と呼ばれた。出発前の空港では、「何の競技の選手なの」と聞かれるほど知名度が低かったが、帰国時は大勢のファンや報道陣の出迎えを受け、カーリングは一躍注目の的になった。小笠原さんは「カーリングはスポーツなんだと知ってもらいたかった。マイナー競技の面白さを知ってもらうには、五輪でメダルを取るしかないと思っていた」と振り返った。

当時に比べるとカーリングの知名度も上がり、「五輪が、多くの人にカーリングを知ってもらったり、興味を持ってもらうきっかけになった。今のカーリングを取り巻く環境を作るきっかけとなったあの舞台で戦えたのは、私の誇りです」と語った。

その後は休養を経て、結婚や出産を経験した。札幌市に専用リンク建設を働きかけたり、北海道銀行にスポンサーとして支援してもらうなど、自ら環境を整えて競技に復帰した。

復帰後は、14年ソチ五輪に出場し、女子の日本勢では過去最高の5位入賞を果たした。「五輪に行けるかわからない私たちを支援してくれたスポンサーさんのおかげ。私たちの夢に投資したいと言ってくれた人たちを、五輪に連れて行ってあげたい一心だった」という。

チームは22年北京五輪へ向けて始動

現在は一児の母であり、競技と育児の両立に奮闘している。18年平昌(ピョンチャン)五輪出場の夢はかなわなかったが、「五輪は誰もが立てる舞台ではない。夢に向かって努力するプロセスを子どもに見せたいと思った」と語る。

3度経験した五輪については改めて、「選手にとって、あの場所でプレーするのは最高の誇りであり幸せ。私の人生や存在を表現できる舞台」と表した。そのうえで、「対戦した相手や、家族、支えてくれる皆さんがいて、五輪の舞台に立てる。多くの方の支えがあるから戦える」と周囲の支援に感謝した。チームはすでに22年北京五輪へ向けて始動しているといい、「結果を出して、皆さんに還元していきたい」と決意を述べた。

サロンでは、スポーツを通じて日本を元気にする「元気、ニッポン!」プロジェクトの報告も行われた。

トークショーでは3度の五輪の思い出などが語られた(同)

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