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スポーツ庁委託事業「平成30年度パラリンピック教育普及啓発事業」

パラスポーツ・アスリートをもっと知ろう! in 鳥取

2019年02月28日

#パラスポーツ

2020年東京パラリンピックに向け、選手と交流しながらパラ競技の魅力を体感する「パラスポーツ・アスリートをもっと知ろう! in 鳥取」が2月23日、鳥取市の鳥取県立鳥取産業体育館で開かれ、地元から約160人が参加した。「新記録」が飛び出すなど、会場では大きな歓声があがった。

主催=読売新聞社
後援=公益財団法人日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会
協力=公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会、NPO法人幼児教育従事者研究開発機構

村上清加選手

樋口健太郎選手

宇佐美里香さん


「義足を使う友、欲しかった」…パラ陸上・村上清加

この日のゲストは、パラ陸上の村上清加(さやか)選手とパラ・パワーリフティングの樋口健太郎選手、そして、元空手日本代表の宇佐美里香さんの3人。村上選手と樋口選手は、5回目となった一連のイベントで初めて登場する義足のパラアスリートだ。

村上選手は17年の世界パラ陸上選手権大会に100メートルと走り幅跳びの2種目で出場した。

パラ・パワーリフティングは、バーベルをベンチであおむけになった状態で持ち上げるベンチプレスの一種。樋口選手は18年のアジアパラ競技大会で5位に入賞した。

宇佐美さんは全日本空手道選手権の形(かた)で5回優勝したほか、12年の世界空手道選手権大会で優勝。20年の東京大会のように、もし当時、空手がオリンピックの正式競技であれば、有力な金メダル候補だった。現在は引退し、鳥取県に在住。コーチとして後進を指導する一方、「KARATE2020アンバサダー」として、空手の魅力を伝える活動をしている。

中尾真亜理アナウンサー

日本海テレビの中尾真亜理アナウンサーが進行役となった3人のトークショーでは、競技を始めたきっかけがまず話題になった。

村上選手は09年に事故で右足を切断したが、「義足を使う友だちが欲しかった」という理由で、入院中からスポーツできる場所を探した。「走ることができたら歩くのが楽になる」と勧められ、陸上の道へ。「100メートル走ったときは本当にすがすがしい気持ちになりました」と話した。


入院中に全日本選手権で優勝…パラ・パワーリフティング・樋口健太郎

樋口さんも17年に事故に遭い右足を切断したが、スポーツジムでトレーナーの経験があったこともあり、即座にパラ競技への挑戦を決意した。いくつかの競技を試す中で、「20年東京が一番近い」と考え、パラ・パワーリフティングを選んだ。始めて1か月、それも入院中に全日本選手権に出場してなんと優勝し、「これで行ける」と自信を得たという。

宇佐美さんは小学5年のとき、アクションドラマで女性が悪者をやっつけるのをみてあこがれ、兄や友だちがやっていた空手を始めた。最初に道着をつけたときは「血が騒いだ」と振り返った。

村上選手が陸上競技用の義足について解説した。日常用の義足と違い、ヒザの下が「J」の字のように大きく曲がっている。カーボン製のため、重さでたわむので、パワーが生まれる。村上選手によると「義足を信じて全体重をかける」ことが重要なのだという。パラ・パワーリフティングに競技用の義足はないが、樋口選手も義足に慣れるまでは、かなり苦労したそうだ。


「競技場では成績を見て」…村上

参加者からは「パラスポーツをもっと盛り上げるにはどうすればよいか」という質問が寄せられた。村上選手は「ケガや病気の部分が注目されるが、競技場にいるときは成績を見てもらいたい。そのためには選手は記録を伸ばすしかありません」と強調した。樋口選手は「競技を知ってもらうことが大事。私もできるだけメディアの取材を受けたり体験会に参加したりして、アスリートとしてアピールしています」と答えた。

20年東京大会に向けた決意も聞かれた。村上選手は昨年5月に出産して、練習時間が短くなったが、その分集中度を高めているといい、「目指すからには金メダルをとりたいです」と力強く宣言した。樋口選手は競技歴が1年あまりで、「まだ世界レベルには及ばない」と冷静に自己分析。「確実に階段を上るように成績をあげて、2020で一番良い成績を残したいです」と語った。


「技の正確性、スピード、緊張感が見どころ」…空手・宇佐美里香

宇佐美さんは、東京で初めて正式競技になる空手の見どころとして、「技の正確性やスピード、緊張感」をあげた。そのうえで、「村上選手や樋口選手を間近で見ていろんなことを感じられれば、もっと応援できる。一緒にオリンピック、パラリンピックを盛り上げていきましょう」と力を込めた。


「義足、つま先歩きのよう」…参加者

トークショーが終わり、参加者たちは会場内に設けられた「義足体験」「パラ・パワーリフティング体験」「ボッチャ体験」の3コーナーに分かれた。
義足体験で準備されたのは、競技用の義足の左右2本の3セットと、日常用の義足1本。

両足に競技用の義足をつけた参加者は、両脇を村上選手やボランティアのスタッフに支えられながら、おっかなびっくりと歩き始めた。ポイントとなるのがバランスの取り方。義足が弾む力を読みにくい。コース途上で立ち往生する人もいれば、慣れていくうちに少し余裕のある表情を浮かべる人もいた。小学1年の徳丸湊斗くんは「義足だと、つま先歩きをしているみたいな感じだった」と話した。

パラ・パワーリフティング体験のコーナーでは、「おもいをあげるプロジェクト」と題して、持ち上げたバーベルが計1000キロを超えることを目指し、子どもも大人も代わる代わる挑戦した。重りがついていない棒だけでも20キロあり、自分の体重分が持ち上げられれば上出来という。専門学校生の竹内楓香さんは「40キロあげられると思う女性いますか」という呼びかけに名乗り出たが、あえなく断念。「20キロでもうずしりときました」と笑った。結局、約1時間であがったバーベルは計1140キロと、目標を達成。個人の最高記録は男性で80キロ、女性で40キロだった。

「おもいをあげるプロジェクト」結果
宇佐美さんが、女子最高記録

的となる白い球に向かって、青と赤の球を投げ合うボッチャのコーナーは家族連れに大人気だった。即席のチーム対抗戦が開かれ、勝ち負けに一喜一憂していた。

宇佐美さんは壇上に登って、空手の演武を披露した。動きの速さもさることながら、動きに合わせて発せられる風を切る音に、全員が驚かされた。

村上選手が子どもたちとかけっこ勝負をして、大熱戦を展開したところで、スペシャルゲストが現れた。筋骨隆々の男性が、「大人の方は私と勝負しましょう」と呼びかけた。実は村上選手の夫の村上健二選手で、妻のコーチを務める一方、ボブスレーの日本代表というばりばりの現役アスリートなのだ。もともとは陸上の短距離選手だったが、脚力を生かし、重いソリを押すボブスレーに転身した。健二選手の爆発的なスピードに、一同圧倒された。

村上清加選手(手前左)にチャレンジ

村上健二選手(手前左)にチャレンジ

最後の見せ場となったのは、樋口選手の実技だ。自己記録の171キロを超える175キロに挑戦した。熱い視線を浴びる中、バーベルの下に潜り込んだ樋口選手の両腕がすくっと伸びた。記録の目撃者になった参加者たちは大興奮した。

アスリートと参加者たちもすっかり打ち解け、会場のあちらこちらで記念撮影が続いた。パラ競技・パラアスリートがぐっと身近になった1日だった。

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